ブログトップ

Fleur de Aciu.

fleuraciu.exblog.jp

真珠のネックレス

d0169261_11143665.jpg
厄年を迎えた時に厄払いにと義理の母からもらった真珠のネックレスとピアス。
私が、大切にしまってあるそのネックレスを身につける時のほとんどには、大切な人とのお別れがそこにあります。

今日のブログは、皆様に元気や癒しをお届けできる事が出来ないと思うので、楽しくて美しいブログが見たいなぁと思われる方は、
こちらへ(^^)
 ↓↓↓
にほんブログ村 花ブログ フラワーアレンジ教室・販売へ
にほんブログ村

昨日から、楽しくて元気になれる内容を…と考えながらも思考はどうしても彼女のことに辿り着いてしまうのでこの場をお借りして気持ちの整理をつけたいと思います。
考えれば考えるほどアチュウの応援をしてくれていたんだなぁと思えたから。

彼女の事を思うとき必ず同じ場面を思い出します。
それは、中学校の入学の日、別の小学校から入学してきた同級生とぎこちなく並んで待った入学式直前の廊下でのこと。
初めて出会う他の学校の生徒たちに違和感を感じていていたときに一番最初に話しかけてくれたのは彼女でした。
同級生の中では身長が高い方だった私たちは、背の低い方から順番に並んで…というお決まりの流れで、後ろの方へ。彼女が一番後ろで、私がその前。
明るくて活発な彼女とは、どんな話をそこでしたのかは全く憶えてはいないのですが、友達になるのには時間を必要とはしませんでした。
同じクラスだったから、休憩時間もずっと一緒に過ごし、(あの年代特有な?)交換日記ならぬ交換の手紙(可愛らしく紙を小さく折って渡すというもの)を先生の目を盗んで(笑)授業中に渡したり、小学生の頃には遠くに感じていた彼女の家に遊びに行くのもなんだか新鮮でした。

間もなくして、私は、その学校では練習時間も長くて厳しいといわれるバレーボール部に入部しました。
練習に明け暮れる日々。
彼女は、クラブには入部せずに帰宅部でした。
そこから少しずつ私と彼女の人生の歩み方は違っていったのだと思います。

それでも、私がクラブ活動をしているとき以外は仲は良くて、手紙のやり取りもずっと続いていました。
2年生になって、3年生になって。
だんだんと彼女の姿を学校で見かけることが少なくなっていました。

私は、彼女が大好きだったから自分からあまり遠くへは行かないでほしいと願っていましたが、おそらく彼女は、私のことを大切に思っていてくれたからでしょう、私には自分と同じ生き方を望んだことは一度もありませんでした。

それでも、たまに学校へやってきたときの彼女と私の付き合いは入学式の日の廊下で出会った時となにも変わりなく、むしろ彼女の抱えている悩みを聞いたり、もらった手紙を読んだり、渡したりの日々でした。

中学の卒業式の日にもらった手紙の内容を今でもしっかりと覚えています。
「同じスカートの丈、同じ髪の色で入学をした私たち、いつの間にか自分のスカートの丈は長くなり、髪の毛の色も茶色になって学校へも来なくなってた。」
そんな書き出しで始まる手紙には私への感謝の気持ちが溢れるくらい書き綴られていました。

私が高校へ進学してからは、お互いの環境もうんと違ってしまったせいか、たまに町で見かけても軽く手を振って挨拶をするくらいでした。

それから月日は経ち、私がアチュウをオープンしたばかりの頃は、母の日には高額の(きっと無理してくれてたと思う)注文をくれたり、親戚の人たちに宣伝をしてくれたりしていました。

お花を届けにお家へ行ったとき、彼女がお母さんに言った言葉も忘れられません。
「自分の友達で○○高校(地元では有名な進学校でした)に行ったいっち(と呼ばれていました)は私の誇りなんだ。」
私は、その高校でほとんど勉強をマジメにしなかったことを恥ずかしく思いました。

「もしもし?誰か分かる?忙しくしてる?」
「分かるよ。ぼちぼちと忙しくしてるよ。」
「それなら良かった。またご飯でも行こうや。」
「そうだね。」
「仕事、頑張りや!」
「ありがとう。」
こんな短い内容の電話のやり取りがここ数年、年に2,3回ありました。

長い間身体を患っていた彼女は、やせ細ってしまい歩くことさえ不自由そうで、そんな彼女を見ているのがつらくて無理に時間を作らなかったようにも思います。

そして、3月11日。
新聞の折込に掲載される訃報の欄を見て、その日の13時から彼女の告別式が行なわれることを知りました。

そこからは、ただただ後悔の気持ちだけが襲ってきて悲しみさえも感じられないほどでした。

私、何していたんだろう?

市場での仕入れを急いで終えて、午前中の仕事を済ませて、彼女に「ごめんね。」と伝える為に告別式に向かいました。

そこで彼女のお母さんから、
「来てくれてありがとう。あなたのことが大好きだったもんね。」そんな風に声を掛けていただきました。
その言葉でなおさら後悔が大きくなりました。

私、何していたんだろう?

そこで会った同級生から、物凄くつらい治療をしていたらしい…と聞きました。

「もしもし?誰か分かる?忙しくしてる?」
この電話は、私に何か聞いてほしかったSOSだったのかもしれないと思いました。
3年間続いた手紙のやり取りは、あなたからのSOSがほとんどだった事を思い出したから。

最後のお別れの瞬間まで心の中で「ごめんね。」を繰り返しながら、何故かしら中学の入学式の日のことをひたすら思い出していました。
最後の最後にどこからともなく「ありがとう。」という言葉が聞こえてきたと思うと、沢山の人があなたに向かって口々に「ありがとう。」と言い始めました。

私は、あなたに向けられた最後の言葉が「さよなら。」ではなくて「ありがとう。」だったことがとても嬉しくて、そこで始めて涙が溢れてきました。
私からもあなたに伝えたい最後の言葉は「ごめんね。」ではなくて「ありがとう。」だと思いました。

40年の波乱万丈な人生を生き抜いたあなた。
しばらくゆっくりと休んでいて下さい。
そして、私がそちらへ行ったときには、中学のあの時のように声を掛けてね。

「ありがとう。」


もしも、最後まで読んで下さった方がいらっしゃいましたら、長々と申し訳ございませんでした。
少し気持ちの整理が出来た気がします。
ずっとお店のことを気に掛けてくれていた彼女の為にも、アチュウの仕事を頑張らなければと思います。
「お付き合いありがとうございました。」

明日は元気なブログ、ガンバルゾ~☆
   ↓↓↓
にほんブログ村 花ブログ フラワーアレンジ教室・販売へ
にほんブログ村
[PR]
by Aciu | 2013-03-13 04:38 | fleur | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://fleuraciu.exblog.jp/tb/18136594
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
<< Smile 春を >>