昨日は、御供えのお花。
本日は、お誕生日。
日によってご用途がなぜかしら偏るのは、アチュウの不思議のひとつ。
昨日お作りさせていただいた御供えのお花のうちのいくつかをお受取りになられた女性から、とても嬉しい贈り物を頂きました。
ご主人が天国に旅立たれて一年。
ご趣味だったというカメラでたくさんの美しいお写真を残されていたご主人。
そのお写真で作られた日めくりのカレンダーでした。
私には、ずっと心の中に引っかかっていた言葉がありました。
それはその奥様の言葉。
その奥様のお誕生日にお花をお届けさせていただいたときのことです。
(同じ歳のご主人を思いがけず早く看取ることになってしまわれたので)「私、お誕生日が全く嬉しくないの。だから、子供たちにもお祝いをしないでとお願いしたくらい。主人は若いままなのに、自分だけが歳をとってしまう事がとても悲しい。」と。
色々な困難もご夫婦で乗り越えてきたと言うお話は、ご主人様が生前、何らかの催しでお話をされていたり文章で拝見したことを思い出します。とても素敵なご夫婦でした。
だからこそ、ご主人がいなくなられたことが本当に寂しく感じられているのだと思いました。
それでも毎年の自分のお誕生日が悲しいなんて、とてもせつな過ぎるとも思いました。
そして、自分にも同じ状況は訪れるかも知れないとあの時の言葉をずっと頭の片隅に思いながら過していました。
いただいた日めくりカレンダーにはメッセージが添えられていました。
『(前略)そう言えば、主人 生き方として“美しく生きる”ということをモットーにしていました。…主人の自慢の写真を楽しんでくださりながら、美しく老いることを心掛けて下されたら、どんなに喜ぶことかと…。』
そして、何より嬉しかった最後の一行。
『そして いつの日か 主人と出合えた時、“美しく生きれたね”と言ってもらえたらと…』
いつまでもご主人を想い続けることの出来る女性の姿はそれだけで十分に美しいと思いました。
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